初めまして。
現役インフォプレナー兼コピーライターとして活動中のJill(ジル)と言います。
「Jill」というのはメディア用に自称しているあくまで仮のペンネームです。
本名はまぁ、かなり平凡な感じです笑※インフォプレナー事業は本名で活動しています
生まれは北海道、育ちも北海道で、現在も北海道在住という身です。
年齢は30代、独身です。
そんな私が何故このようなブログを開設したのかというと、まず私がネットビジネスに初めて参入した2012年ごろから現在までに、情報ビジネスを題材としたブログ等が数えきれないほど運営されていた中で、「何が真実なのか?」という疑問を感じ、解決できずにいる一般ユーザーの多さを知りました。
そういった方たちの疑問を、私自らの視点で「真実」や「考察」を綴った当ブログで解決出来ればと思ったからです。
そして一般ユーザーが無数にある情報から「どれが真実に最も近いのか?」を悟るには、やはりその分野に精通している人間の見解を聞くのが一番手っ取り早く、何より確実だと確信しています。
私は現役でビジネス教材の発行者=インフォプレナーとして活動しており、同時にセールスレター等の執筆も行うコピーライターとしての活動も行っている人間です。
自ら発案~製作までを手掛けたビジネス教材は2019年1月1日時点で10を超えており、自慢ではありませんがそうしたこれまでの活動で得た合計売上高は1憶円を超えました。※2018年春ごろ
さらにビジネス誌やニュースサイトといった各メディアへの露出も果たしています。※当ブログサイドバーを参照
これらの経歴から、他のビジネス情報を発信しているブログ等よりは根拠のある見解を発する事が出来ると思いますし、現役インフォプレナーだからこそ知る業界の裏側も公開する事が出来ます。
従ってあなたがもし「何が真実なのか?」を日々探して、多くのブログ等を行ったり来たりしながら様々な情報に翻弄されているなら、業界の最前線で活動中の「Jill」ブログを参考にして「何が真実なのか?」の疑問を解決して頂ければと思います。
Jillプロフィール
Jill小学生時代
さて本記事は私のプロフィールという事なので、私の生い立ちを簡単に綴っていきたいと思います。
まず私の幼少期ですが、近所の幼稚園を人生初の失恋と共に卒園後、地元の小学校に入学し、小学2年生のころから少年野球チームに入団しました。
その野球チームは地元ではそこそこ強いチームで、私が入団した年には地区大会で優勝を飾っています。
先輩方の華々しい姿を見て私もそうなりたいと強く思い、小学3年生のころから本気で野球に取り組み、4年生の時にチームのレギュラー員に抜擢され、5年生でレギュラーのピッチャー(またはサード)、そして6年生の頃には北海道大会でベスト8に進出しました。
私は自分でも努力型の人間だと思いますが、その性格はこの頃から出ていたのだと思いますし、仮に野球をしていなかったとしても違う形で努力型の性格を発現していたと思います。
野球もそうでしたが、当時はポケモンやドラクエなどにもハマっていて、FF7なんかは合計500時間はやっていたはずです笑
遊戯王カードも少しやっていました。
今思えば、昼は学校、放課後は野球に熱中、夜はゲーム三昧、休校日は全て野球の試合に時間を充てていた日々でしたので、子供の頃って本当に体力があったんだな~と痛感しますね。
Jill中学生時代
中学に上がった私は、それまで熱中していた野球をやめることになりました。
第一の理由は金銭面です。というのも、野球って実は続けるのに結構お金が掛かるものなんですよ。
小学生から中学生へ成長すれば当然体も大きくなりますので、ユニフォームからグローブ、スパイク、バットといった全ての野球用品を買い替えなければなりません。
いくら軟式の野球用品と言えども、当時でも全てを買い替えるとなれば15万円前後の費用が掛かります。
一般的な家庭にとってその程度の出費はさほど痛手では無いのかも知れませんが、私の家庭は両親が離婚寸前の別居状態でしたので、母親一人の稼ぎでその額はかなりの大金だったわけです。
子供ながらに家庭の経済状況をなんとなく分かっていた私は、表面上「飽きた」という理由で野球をやめることに…。
そして第二の理由は、「遊ぶ楽しさ」を知ってしまったからです。
小学生の時も野球以外の時間はそれなりに遊んでいたと思いますが、中学生に上がれば遊び方も変わりましたので、そっちの方が当時の自分にとって充実感があったのです。
その遊びというのは主に恋愛でした笑
つまり野球の球を追っかけるより女の子を追っかける方が断然楽しかったという事です。
ここでも努力型の性格が功を成してか、当時好きになった子へアプローチし続けた結果、子供なりに健全な恋愛を楽しむことが出来ました。
ただ良くなかったのは、恋愛や友達との遊びを最優先にしていたせいで勉強が疎かになり、地元でも最底辺の高校しか受けられないと担任教師に宣告された事です。
しかし高校へ進学するつもりは薄いのが当時の私でしたので、そこから勉強をして少しでもレベルの高い高校入学を目指すということは無く、成績最悪の状況で無事?中学校を卒業しました。
Jill高校生時代
見出しには「高校生」としていますが、正確には「一般的な高校生に該当する16歳~18歳の時期」ですね。
中学卒業後、私は高校へ進学する事はしませんでしたから…。
と言いますのも、先ほど言った通り両親は小学生の頃から別居しており、私の中学卒業と同時期に離婚が確定した事もあって金銭的にさらに苦しくなるのが明白だったことから、進学するより働きに出て金を稼いだ方が家庭的には楽なのではと子供ながらに思ったからです。
それに長い目で見れば、早い段階で社会に出ておいた方が将来役立つはずだと思っていましたので、当時の私にこの選択に対する後悔はありませんでした。
もっとも、大人になった今は猛烈に後悔していますが…笑
新しい恋愛とか友達とか作って修学旅行とか卒業旅行とか行きたかった…笑
すぐに働きに出たい私はいろいろ考えた挙句、繁華街にある飲食店へのバイト入店を決意。
バイトと言っても出勤は週6日で一日の勤務時間が8時間~10時間といった、正社員とほとんど変わらない労働を行っていました。
体力的なキツさはすぐに慣れたものの、人間的に好きではない先輩方が2人ほどいましたので、その面でのストレスが半端なかったです。
本当、ウマが合わない人とはどこまで行っても合わないし、むしろ合いたくもないほどですよね。
ただ時給は結構良かったので、細かいことは気にせず私を良くしてくれる従業員たちと仲良く仕事をこなしていました。
この頃から、小学生や中学生時代の友達とは少し価値観の違いが生じてきたのを覚えています。
まぁ無理もないかも知れません。
友達は高校という世界に住み、私は社会という世界にいるわけですから…。
多少の寂しさを感じながらも、この飲食店で私は最終的に主任の役割を獲得し、私のネットビジネス収益が軌道に乗る2013年まで勤め上げるのです。
Jillネットビジネス参入
2012年冬、この頃にネットビジネスというものを知り、それは一般人でも参加できるという事で、「金を稼ぐ」事が好きな私は飲食店への勤務は継続しつつあらゆるネット事業をリサーチし始めました。
素人ながらに様々な情報を収集していたこの時期は、かの与沢翼や佐藤みきひろ、蝶乃舞、児玉歩といった有名人が過度に露出していた時期ですね。
確か児玉歩と佐藤みきひろが自身の出版本の「パクリ」疑惑を理由に、七星明が間に入ってボクシング対決をしていたのもこの時期でしょうか?
この当時の私はとにかく「ネットビジネス」に関する情報が欲しくて、あらゆるブログ等へアクセスし無数の情報をリサーチしていたわけです。
しかし右も左も分からない素人でしたから、どれが本物の情報なのかという判断も付かず、誰が運営しているかもわからないブログ等のノウハウをただただ愚直に行っていました。
その中で唯一、少額ではありますが利益になったのがアフィリエイトでした。
この当時の業界も、「ネットビジネスの王道」=「アフィリエイト」という認識が強く、それを題材としたビジネス教材が星の数ほど軒を連ねていましたね(勿論その他のビジネス教材もありましたが、市場全体で見ればアフィリエイト系が多くを占めていました)。
とはいえ、私はアフィリエイト教材を購入する事はしませんでした。
教材一つ一つの価格が高額に設定されている点もそうですが、何より「価値の無い教材が9割以上」という風潮があったためです。
無価値の商品を高額で購入してしまう恐怖心から、私は情報商材の購入に対し以上に怯えていたわけです。
ただよ~く考えると、
⇒現にネットで億単位を稼いでいる人間が居る
⇒でもそうした人間も元を辿ればただの素人
⇒なら素人の私でも1からネットで億を稼ぐ人間になれるのでは?
という理解に至り、アフィリエイトでもっと効率良く稼ぐには何が必要か?というテーマを常に追いかけ始めました。
稼ぐ為に必要な技術や知識を次々と「独学」で培った結果に今の私がありますので、購入を踏みとどまった当時の私の判断は正解だったのだと今でも思います。
Jill月収100万円達成
「独学」で何をしていたのか?という点ですが、前提としてアフィリエイトと言えど利益が出る仕組みは様々であるものの、根本にあるのはやはり「顧客からの行動的アクション」です。
従って私は、私が所有するサイト上で展開している商品やサービスに対し、どのようにすれば顧客は行動的アクションを起こしてくれるのか?
無料登録、サービス申し込み、購入に至る全ての行動的アクションを、私が意図した形で行わせるにはどうすればいいのか?
という点を日常的に考え、実践し、改善しながら少しづつ「形」にしていったのです。
子供のころから発現した「努力型の性格」で無ければ、おそらくこうした試行錯誤をする事は無かったでしょうね。
今の私があるのはこの性格があったからなのかも知れません。
そうした日々を半年ほど繰り返し、私なりのアフィリエイト戦略を徐々に形になってき出した頃、気が付けば月の報酬が100万円を超えていました。
徐々に成果が出始めた当初から月収100万円という目標を持っていましたので、実際に達成できた時は本当に涙が出ましたし、半信半疑であった「ネットでだけで生活できている人が居る」という噂が本当だったことに対し感動したのを覚えています。
その後、多少の増減はあったものの月収100万円を安定的に維持できるようになったの機に、店舗の中でも比較的長く務めた私は退職を決意。
店長から強めに思いとどまることを説得されつつも、最後は気持ちよく送り出していただき、私は晴れてアフィリエイトで生計を立てるネットビジネスマンの門出を迎えることが出来たのです。
Jillインフォプレナーデビュー
アフィリエイト収入が軌道に乗り、月収100万円以上を安定的に稼ぎ続け3年が経った2015年冬頃、私は自分のアフィリエイト戦略をまとめたノウハウを商品化し遂にインフォプレナーとしてデビューしました。
アフィリエイターとして活動していた際に、ちょくちょく自分のノウハウを所有サイトで公開していたのですが、これが結構評判が良くて「小出しではなくどうせなら目一杯ノウハウを盛り込んだものを“商品”として発表しちゃえ」といった流れで商品制作を開始。
もともとアフィリエイト活動でライティング作業を毎日行っていましたから、ノウハウを文字におこすことに苦は無く、販売ページであるセールスレターの執筆も私自身で行いました。
また、少しのHTML知識、CSSの知識もありましたし、画像制作の経験もありましたので、セールスレターの構築もなんとか自分でやり遂げることが出来ました。
つまり、商品の製作、セールスレターの執筆、セールスレターのデザイン、セールスレターの構築及びLP化といった全ての業務を一人で行ったわけです。
本来なら分業で一つの商品を製作するところ、私の場合は完全に一人でこなしましたので完成までにかなりの時間が掛かってしまいました。
しかし裏を返せば一人で行った分、プレナーとしての収益配分も私のみになりますので、受け取れる報酬もかなり高額です。
従って総売り上げが大した事ない状況でも、プレナーとしての月収は200万円を下らない水準を維持していましたし、最高月収は660万円ほどになっていました。
インフォプレナーとしてデビューした後もアフィリエイト活動は続けていましたので、上記の収入にアフィリエイト報酬をプラスした額が実際の月収になります。
まだ月収1000万円の大台に載ってはいませんが、それでもネットビジネスマンとしてはかなり高額な収入を手に出来ていると自負しています。
その後も、随時最新のノウハウを詰め込んだノウハウを商品化しては発表し続け、2019年現時点でその数は10を超えました。
インフォプレナーとして活動するようになってからは、他のプレナーさんとの交流も増えて行き、最近では某有名ASPが主催するパーティなどにも呼んで頂いている状況です。
そんな私をどこで知ったのかは定かではありませんが、これまでに何度か某ウェブマガジンや某ニュースサイトで、本名と顔出しNGという条件付きでネットビジネスマンとしての意見を取材されるまでに至っています。
ただの飲食店主任であった人間がまさかこのステージにまで行けるとは思いませんでしたが、それも私の努力型の性格があったのが大きいと思います。
何か物事を継続する事が出来ないような人間であったなら、今のポジションを得る事は到底不可能だったでしょう。
我ながらよくやっていると思いますが、逆に言えば、向上する努力を継続し続ける事が出来れば、たとえ初心者でも私と同じ成果を叩き出すことが可能になります。
今でもインフォプレナーとして活動している私ですが、もしあなたがネットビジネス参入当初の私と同じ状況であるならば、業界に精通している私が情報業界について考察する当ブログを参考に、今後の活動にお役立てください。
少なくとも実績の乏しいビジネスマンが運営するサイトよりは貴重な情報を発する事が出来ますので、引き続き何卒当ブログをよろしくお願いいたします
現役インフォプレナー「Jill」
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